スクウェルがお薦めする「ウィルス不活化装置」V-VALIAのご紹介

この度、スクウェル事務局(株式会社インターテクスト)は、イオンクラスター技術によってウィルスを不活化、また浮遊カビ菌、ホルムアルデヒド、PM2.5の除去に有効で、空気を清潔に保つことに貢献する「ウィルス不活化装置」V-VALIAの販売を開始いたしました。

 これまでスクウェル事務局では、学校における子どものウェルネスを追求し、手洗い推奨をはじめ、感染症についての啓発情報の発信に努めてまいりました。その信頼基盤の上に、科学的なエビデンスを備えた優れた商品を、学校をはじめとしてそれらを必要とする施設にご提供したく存じます。

 新型コロナウィルスによる不安は、多くの学校、団体、企業や個人を苦しめています。スクウェル事務局ではこれらの方々の不安を少しでも取り除き、健康で安心な生活を送れるように、引き続き尽力してまいります。

 こんな方々のために



「死にたい」と向き合う

「死にたい」と向き合う
私は薬物依存症の治療や研究を専門とする精神科医ですが、実は、昨年度までのおよそ10年間、自殺予防に関する研究や啓発の仕事もやっていました。
 だからというわけでもないですが、今回は、わが国の自殺対策の進歩と課題について、私なりの考えを述べたいと思います。

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yomi Dr./ヨミドクター(読売新聞)

「死にたい」と向き合う

「自殺」と言えるようになった

 わが国おいて、2006年に自殺対策基本法が制定されたことは、画期的な出来事でした。それまで国や自治体にとって努力目標にすぎなかった自殺対策が、この法律ができたことで、義務規定となったわけですから。以来10年間、国内各地で様々な対策が講じられ、結果として、最近6年間は、自殺者数が減少し続けています。
 一体、どの対策が効果的であり、何が変化したのでしょうか?

 正直なところ、私にはわかりません。ただ一つだけ、確実な変化を実感していることがあります。それは、「自殺」という言葉を口にしやすくなったことです。かつては多くの人が「自殺」という言葉を口にすることを怖れ、ためらっていたように思います。
 今でも忘れられないのは、10年前、自殺対策の講演を依頼されたときのことです。主催者側は私に、「演題名に『自殺』という言葉を使わないでほしい」「講演は自殺の話ではなく、うつ病の話を」などと注文をつけてきました。どうやら主催者側は、「自殺」は 禍々まがまが しい言葉と捉え、その言葉が人びとを不快にさせるのを危惧したようです。

 実は、この手の依頼は一度や二度ではありませんでした。
 しかし、その後数年間で状況は一変しました。現在、国内各地で「自殺対策」「自殺予防」と銘打った講演会など、様々な啓発事業が展開されています。今や「自殺」は禍々しい言葉ではなくなり、目を 逸そ らさずに向き合うべき課題となったわけです。
 これは好ましい変化です。というのも、「自殺」という言葉を忌避する社会では、追い詰められた人は「死にたい」という言葉でSOSを出すこともできないからです。
 人は、追い詰められるほど、「死にたい」と言えなくなります。それは、告白を軽く受け流されたり、安易な励ましや説教をされたりするのを怖れるからであり、自分の告白が場の空気を白けさせ、相手を悩ませることを危惧するからです。

「死にたい」といえる関係性

 興味深い研究があります。総合病院の救命救急センターに過量服薬による自殺企図で入院した患者190人の追跡調査です(Ando S, et al. One-year follow up after admission to an emergency department for drug overdose in Japan. Psychiatry Clin Neurosci, 2013)。この研究は、東京都医学総合研究所の安藤俊太郎先生たちが行ったもので、私もお手伝いをさせていただきました。
 この研究の対象となった自殺未遂患者のうち、退院後1年間に再度の自殺を試みた方は42.4%でしたが、安藤先生らはこのような再企図を予測する要因を分析しました。その結果、再企図者の多くが、意識障害から回復後に医師が発した、「まだ死にたい気持ちがありますか」という質問に、「ない」と回答していたことがわかったのです。
 この結果をどう解釈すればよいのでしょうか。「死にたいと言わない人ほど自殺」し、その裏返しとして、自殺にまつわる間違った迷信、「死ぬという奴にかぎって死なない」の正しさを間接的に示しているのでしょうか。
 まさか、まさか。

 おそらく自殺未遂患者は、何らかの苦悩が、解決困難な問題があったから、その行為におよんだのでしょう。ですから、救命救急センターでの治療によって意識が回復しても、依然として苦悩や問題は存在し、「死にたい気持ち」も残っていたはずです。
 それなのに、彼らは「死にたい気持ち」を否定したのです。要するに、これは、「私にかまわないでくれ」「あなたには心を開かない」「あなたに自殺を止められたくない」という意思の表れではないでしょうか。反対に、医師に「死にたい」と訴えることができた患者は、それがSOSとして伝わり、退院後に自殺をせずにすんだと言えないでしょうか。
 この研究が示すのは、自殺予防の重要なヒントです。つまり、自殺予防に必要なのは「死にたい」といえる人間関係であり、さらには、「自殺」という言葉から目を背けず、追い詰められた人が「死にたい」と言える社会であるということです。

「死にたい」と向き合う医療

 しかし現状では、医療関係者の「死にたい」への対応能力には、まだ多くの課題が残されています。
 救命救急センターのソーシャルワーカーからこんな話を聞いたことがあります。

 そのワーカーは、最近ある精神科病院が自殺対策に力を入れるようになったという 噂うわさ を聞き、自殺未遂患者の入院をお願いしたそうです。ところが、なぜかにべもなく断られました。不審に思って理由を尋ねたところ、次の回答が返ってきたそうです。「院内での自殺事故防止のために、いっときも目を離せないような自殺リスクの高い患者については、入院をお断りしています」。
 要するに、その病院の自殺対策とは、あくまでも院内に限局した対策だったのです。これでは、病院職員の精神衛生はよくなるかもしれませんが、逆に地域には、適切な治療を受けることができない自殺リスクの高い人が、行き場を失ってあふれてしまいます。

 また、かつてある患者は、私にこんな愚痴を漏らしました。
 ――通院先の精神科クリニックの先生に「死にたい」って訴えたら、「自殺の危険がある人はうちでは診ることができない。入院しなさい」と突き放された。それで、精神科病院を紹介してもらったら、今度はそこの先生から、「入院するにあたって、まずは、何があっても自殺しないと約束してください」と迫られた。誰一人として、「なぜ私が死にたい気持ちになっているのか」を聞こうとしてくれませんでした……。

 わが国の自殺対策の課題は明らかです。基本法制定後の10年で、「自殺」という言葉を忌避しない、「死にたい」と言える社会が作られました。次の10年の課題は、それをさらに進めて、「死にたい」に対応できる医療体制の整備です。
 その意味で、わが国の自殺対策は、「総論」の時代から「各論」の時代へと突入したと言えるかもしれません。
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